かやまおさむさんが参政党に入党し、そして離党するまでの1年2ヶ月。
その間に何があり、どんな理想と葛藤があったのでしょうか?
この記事では、彼の政治活動とその背景、そして決断の理由までを詳しく掘り下げていきます。
農林水産業を軸にした“静かな革命”を掲げて政治の世界へと飛び込んだかやまさん。
でも、理想と現実の間で揺れるなか、なぜ彼は参政党を去るという選択をしたのでしょうか?
この経験から見えてくるのは、どんな政治の姿であり、どんな社会を目指すべきかという問いかけです。
かやまさんの生き方を通して、「本当に人に優しい政治とは何か」を一緒に考えてみませんか?
かやまおさむと参政党での活動と思い

かやまおさむさんは、2022年に政治の世界に飛び込み、参政党での1年2ヶ月という濃密な時間を過ごしました。
その経験は、彼にとって「理想と現実のギャップ」を強く意識させるものであり、新たな気づきと覚悟を生んだようです。
①参政党に入党したきっかけ
2022年4月、YouTubeで神谷宗幣氏の演説に出会い、かやまさんの中に電流が走ったような感覚があったそうです。
農業や林業が国の基盤であるという考え方に共感し、「これこそ自分が探していた政治」と感じて入党を決意。
参政党の理念「大調和」や、積極的な経済政策にも強い魅力を感じたそうです。
「静かな革命」を合言葉に、真剣に日本の未来を変えようという志を胸に、政治活動に足を踏み入れました。
この一歩が、のちの激動の1年につながるのです。
②広報部長としての参院選活動
2022年夏、堀江珠恵さんの参議院選挙を三重で戦うことになり、かやまさんは選挙対策本部の広報部長に就任。
まだ結成間もない三重の党員数はわずか20名ほどでしたが、街頭演説やSNS戦略などに尽力し、なんと一気に400人近くまで党員を増やしました。
特にコロナワクチン問題に敏感だった人々が支持層となり、参政党の支持率は急上昇。
「これは新しい政治のうねりになるかもしれない」と、本気で手応えを感じた時期だったようです。
暑い中、ボランティアで連日活動を続けた姿勢からも、本気度が伝わってきますよね。
③三重第1支部長としての取り組み
参院選後、組織再編のなかでかやまさんは「三重第1支部長」に任命されました。
2022年10月には、県内で「コロナモードチェンジキャラバンin三重」というイベントを開催。
420人を集めるという、全国キャラバンでも屈指の集客を記録しました。
また、党内でも初の試みとなる「戦略的パンフレット制作」や、地方紙への広告掲載も実施。
まさに地方から党を動かす存在として活躍していたのです。
④市議選の支援と現場の課題
その後、かやまさんは桑名市議選で近藤奈歩さんを支援。
限られた準備期間でしたが、仲間たちと連携し、見事当選へと導きました。
この時に感じたのが、「選挙活動で最も気をつけるべきは“内部の敵”である」ということ。
候補者の時間を奪い、足を引っ張る存在が意外にも身近にいるという現実に驚かされたそうです。
それでも彼は、純粋な候補者を守るため、裏方としての役目を果たし続けました。
⑤党の組織改変と信念のズレ
2023年春、統一地方選を終えた頃から、党の方針に違和感を覚え始めます。
それは、参政党が「市民が主役の政治」から「中央集権的な組織」へと急激に変貌していったこと。
運営党員のみが議決権を持ち、役員選出や解任も内部だけで完結するような規約に変更。
この“神谷体制”ともいえる構造に、かやまさんは「まるで北朝鮮のようだ」と強い警鐘を鳴らしました。
「教育を軸とする政党なのに、思想の原則が崩れている。これでは人は育たない」と失望を隠しませんでした。
⑥政策カタログで確信した離党の決断
極めつけは、2023年7月に発表された「政策カタログ」でした。
かやまさんは、これを読んで「こんな内容で日本が変わるわけがない」と絶望。
政策に裏付けがなく、聞こえの良いキャッチコピーばかりが並んでおり、「安っぽい広告屋の仕事みたい」と率直に批判しました。
しかも「党員の声を反映した」と言いながら、実際には誰の意見も聞かれていなかったという矛盾。
「これは詐欺だ、自分がバカだった」とまで語り、完全に参政党から離れる決断をしました。
⑦参政党を経て見えた理想と課題
1年2ヶ月という短くも濃密な政治活動の中で、かやまさんは多くの理想と課題を感じ取ったようです。
「静かな革命」「農林水産業を基盤にした国づくり」など、参政党に期待していた理想は今も彼の中に残っています。
しかし、「理念と運営が一致していなければ、人は動かない」という現実も学びました。
それでもなお、「あきらめない」という姿勢は変わらず、自ら動いて理想を実現する決意をしています。
政治という荒波に飛び込み、苦しみながらも学び、前に進もうとするかやまおさむさんの姿に、勇気をもらえる人はきっと多いはずです。
かやまおさむの経歴を深掘り!
かやまおさむさんのこれまでの歩みを、誕生から現在に至るまでたっぷり紹介していきますね。
①大阪での幼少期と学生時代
かやまおさむさんは1956年1月27日、大阪府羽曳野市で生まれました。
のびのびとした昭和の時代に育ち、地元の大阪府立羽曳野高校に進学します。
当時から好奇心旺盛な性格で、常に「自分のやりたいことは何だろう?」と考える少年だったようです。
1975年に高校を卒業し、そのまま東京の多摩芸術学園の映画科に進学。芸術の世界に足を踏み入れました。
高校生からいきなり映画の道に進むなんて、やっぱり当時から行動力があったんですね!
②映画学校と法学部での学び
多摩芸術学園では映像表現の世界に浸りながら学びましたが、入学から1年半ほどで中退という選択をします。
若いうちは試行錯誤がつきものですよね。映画という道は自分に合っていないと感じたのでしょうか。
その後は社会人としての経験を積み、なんと40代にして再び大学へ。
1994年に立命館大学法学部(二部)に入学し、1998年に卒業するという努力家ぶりが光ります。
大人になってからの学び直しって本当に大変だと思うけど、それをやりきったところが尊敬です!
③釣り雑誌やビデオ制作に携わった編集者時代
1977年、釣り雑誌『関西の釣り』を発行する岳洋社に入社し、編集の世界へと飛び込みます。
ここで経験を積んだのち、1983年には独立して「スタジオプラス」という編集プロダクションを立ち上げ。
さらに1989年には「株式会社フィッシュマン」を創業し、釣り専門のビデオを制作・出版する事業を展開しました。
紙媒体から映像へと、当時としては革新的な挑戦をしていたんですね!
釣り好きの彼にとって、趣味と仕事が重なる理想的なライフスタイルだったのかもしれません♪
④広告代理店やNPO設立などの多彩な事業
1986年には広告代理店「伴ピーアール株式会社」を設立。
編集だけでなく、プロモーションの分野にも進出していきます。
その後も、NPO法人「釣り文化協会」、釣り団体「湾岸シーバスソサエティー」など、次々と新たな団体を創設。
特に1995年から2008年まで続いた『スポーツ&フィッシングニュース』の発行では、編集長として活躍しました。
どれも「釣り」や「自然との共存」というテーマが根底にあって、ブレない信念を感じますよね!
⑤林業と地域活動への転身
2013年、大阪から三重県津市美杉町に移住し、ライフスタイルを大転換!
地元の製材所に勤めながら、森林や地域資源に関わるプロジェクトを手がけるようになります。
2017年には「一般社団法人 美杉の森ワンダーランド」を設立。
森林や山村の多面的な価値を発信する団体「美杉ノ森ファンクラブ」も立ち上げました。
まさに“森と共に生きる”暮らしを実践していて、本当に憧れちゃいますよね。
⑥狩猟や料理など自然と向き合うライフスタイル
かやまさんはわな猟師としても活動していて、美杉猟友会に所属しています。
自ら仕留めた鹿を使って料理をつくり、鹿肉専門のキッチンカーや、通販事業も運営中。
とくに「グリーントマトピクルス」は、地元産の食材を使った人気商品!
裏山ハイキングや音楽(ベース)も趣味にしていて、自然と人間らしい暮らしを満喫してる感じが素敵です✨
仕事も趣味も「自然とつながる」ことに一貫していて、かっこいい大人ってこういう人なんだなって思います。
⑦ソーシャルイノベーターとしての信念
かやまさんの根底には「ソーシャルイノベーション(社会変革)は難しくない」という考え方があります。
「一人ひとりが力を合わせれば、社会は必ず変えられる」と信じ、行動を続けてきました。
だからこそ、政治の世界にも一歩踏み込んだんですね。
2022年には参政党に入党し、広報部長や支部長として精力的に活動しました。
でも、党が中央集権的に変質してしまったことで、2023年7月に完全離党。「騙された」とまで語るほど深い失望を抱きました。
それでも彼は前を向いています。「理想は自分で実現する」と宣言し、また自ら動き出している姿勢が本当にすごい!
まとめ
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | かやまおさむ(本名:萱間修) |
生年月日 | 1956年1月27日(大阪府羽曳野市出身) |
主な活動地域 | 三重県津市美杉町 |
参政党での役職 | 三重第1支部長、広報部長 |
政治活動期間 | 2022年4月〜2023年7月(約1年2ヶ月) |
離党理由 | 組織運営方針や理念の変質への失望、政策への不信感 |
かやまおさむさんは、2022年から2023年にかけて参政党での政治活動に本気で取り組んできました。
農林水産業を基盤に据えた国づくりへの思いから参政党に共感し、支部長や広報部長として多くの活動を実践しました。
しかし、党の組織体制が中央集権化し、理想とのギャップを感じたことで、最終的に離党を決断。
「かやまおさむ 参政党 経歴」は、政治の中で何を信じ、何を選ぶかという重要な問いを私たちに投げかけています。
理想を捨てず、自ら動く姿勢は今後も多くの人に影響を与え続けるでしょう。
※本記事は、かやまおさむ氏本人のnoteに記載された体験や意見をもとに構成されています。記載された内容は本人の主観的な見解を含みます。