スノーボード女子ハーフパイプで、日本人初のオリンピックメダルを獲得した冨田せな選手。
北京オリンピックでの銅メダル獲得を経て、今季はミラノ・コルティナオリンピックに出場し、3度目の五輪に挑んでいます。
この記事では、冨田せな選手の幼少期からプロ入り、怪我と復活、そしてミラノ五輪までの経歴をわかりやすくまとめます。
冨田せなプロフィール

・名前:冨田せな(とみた せな)
・生年月日:1999年10月5日
・出身地:新潟県妙高市
・最終学歴:開志国際高等学校
・競技:スノーボード
・種目:ハーフパイプ
・日本代表(全日本スキー連盟)
幼少期|3歳でスノーボードを始める

冨田せな選手は、新潟県妙高市で生まれ育ちました。
スノーボード好きな両親の影響を受け、3歳の頃からスノーボードを始めます。
雪に恵まれた環境の中で自然と実力を伸ばし、小学生の頃からハーフパイプだけでなく、さまざまな大会に出場するようになりました。
ジュニア時代|13歳でプロ資格を取得
中学生になる頃には頭角を現し、13歳という若さでプロ資格を取得。
中学1年生でプロツアーに出場し、3位入賞を果たします。
15歳のときには全日本選手権で3位に入り、スロープスタイルの強化指定選手に選出。
翌年にはハーフパイプの強化指定選手となり、専門種目を定めました。
高校時代|初めてのオリンピック(平昌五輪)
2018年、高校3年生で平昌オリンピックに出場。
初めての五輪という大舞台でも堂々とした滑りを見せ、8位入賞を果たします。
この大会で見せた笑顔と自分らしい滑りは、多くの人の印象に残りました。
怪我との闘い|競技人生の転機
平昌五輪後の数年間、冨田せな選手は怪我に苦しみます。
2019年、中国で行われたワールドカップ公式練習中に転倒し、頭を強く打つ大怪我を負いました。
約3か月の安静を余儀なくされ、
「大会に出てダメだったら競技をやめようと思っていた」
と語るほど、精神的にも追い込まれていた時期だったといいます。
この経験をきっかけに、フィジカルトレーニングとメンタル強化に本格的に向き合うようになりました。
復活と飛躍|X-GAMES優勝から北京五輪へ

怪我を乗り越えた冨田せな選手は、2022年のX-GAMES ASPENで優勝。
「やりたいことをやっての優勝だった」と語るほど、自信を取り戻す大きな転機となりました。
その勢いのまま迎えた北京オリンピック。
過去に大怪我を負った場所と同じ会場という不安もありましたが、恐怖心を乗り越え決勝に進出。
攻めの姿勢を貫いた滑りで、
スノーボード女子ハーフパイプ日本人初となるオリンピック銅メダルを獲得しました。
休養期間と原点回帰
北京五輪後、冨田せな選手は一時的に競技から距離を置くことを決断。
ハーフパイプの入門スクールでコーチを務めたり、地域のスケートパーク完成イベントに関わるなど、競技の外側からスノーボードと向き合いました。
この期間を通じて、
「スノーボードが生活の一部であり、自分を表現できるもの」
だと再確認できたと語っています。
ミラノ・コルティナ五輪へ|3度目のオリンピック挑戦
そして今季、冨田せな選手はミラノ・コルティナオリンピックの日本代表として、3度目の五輪に出場。
北京五輪のメダリストとして臨む今大会について、
「良い滑りで、これまで支えてくれた人たちに恩返しがしたい」
と意気込みを語っています。
開会式では、日本選手団の旗手として登場。
雪景色の中で国旗を大きくはためかせる姿が話題となり、
「本当にいい経験をさせてもらった」
と笑顔で振り返りました。
進化し続ける冨田せな
3度のオリンピックを経験しながらも、
「男らしく、かっこいい勢いのある滑りをしたい」
と語る冨田せな選手。
高さ、スタイル、攻めの姿勢にこだわった自分らしい滑りで、今もなお進化を続けています。
まとめ
冨田せな選手は、
3歳でスノーボードを始め、13歳でプロ入りし、
怪我を乗り越えて五輪銅メダルを獲得、
そしてミラノ・コルティナオリンピックに3大会連続出場を果たしたトップアスリートです。
これまで支えてくれた人たちへの感謝を胸に挑む3度目の五輪。
その滑りに、今後も大きな注目が集まります。

