れいわ新選組を離党した多ケ谷亮前衆院議員が、山本太郎代表への批判をSNSで投稿し、大きな注目を集めています。
選挙の責任問題や党運営のあり方について厳しい言葉で指摘しており、党内で何が起きていたのか関心が高まっています。
この記事では、多ケ谷亮氏がれいわ新選組を離党した理由と、山本太郎代表への批判内容、そしてその経歴について整理します。
多ケ谷亮がれいわを離党した理由はなぜ?

多ケ谷亮氏がれいわ新選組を離党した直接のきっかけは、次期衆院選で公認されなかったことでした。
多ケ谷氏は2026年1月、自身のSNSで離党を表明。
党から公認を得られなかった決定について、
「除名に等しい決定」
と受け止めていたことを明かしています。
背景には、イスラエル訪問が党方針にそぐわないとして問題視されたことなどがあったと報じられています。
その後、多ケ谷氏は中道改革連合から出馬しましたが、落選しています。
イスラエル訪問問題が離党の大きなきっかけに
多ケ谷亮氏の離党の背景には、2026年1月に行ったイスラエル訪問問題が大きく関係しています。
多ケ谷氏は2026年1月4日から8日まで、超党派の国会議員団の一員としてイスラエルを訪問しました。
訪問団は約15人で構成され、自民党の小野寺五典氏が団長を務めていました。
現地ではイスラエルのネタニヤフ首相とも面会しています。
れいわ新選組の方針と食い違い批判が集中
しかし、れいわ新選組はイスラエルによるガザ地区への攻撃を強く批判する立場を取っていました。
そのため今回の訪問について、党幹部から
「言語道断」
と厳しく批判される事態となりました。
党の方針と異なる行動と受け止められたことが、関係悪化の大きな原因となったとみられています。
多ケ谷亮は「現場を知るためだった」と説明
これに対し多ケ谷氏は記者会見で、訪問の目的について
「対話と外交を通じ、紛争を解決するために現場の状況を確認することが目的だった」
と説明しました。
また、
「一方の主張だけでなく、現場を知ることが政治家の責任」
とも述べています。
さらに、ネタニヤフ首相との面会については
「質問の機会は得られず成果はゼロだった」
と語り、イスラエル政府への支持を表明する意図はなかったとしています。
しかし、この訪問が党との対立を決定的にし、最終的に離党へとつながったとみられています。
山本太郎代表への批判内容とは
離党後、多ケ谷氏は山本太郎代表や大石あきこ共同代表に対し、SNSで厳しい批判を投稿しました。
選挙大敗の責任を追及
多ケ谷氏は、
「先ず貴方や山本太郎がやるべきことは選挙の大敗の責任を取る事」
と述べ、執行部の責任を指摘しました。
独裁的な党運営だったと指摘
さらに、
「山本太郎に権力(人モノ金)の全てを集中させ、独裁的に党運営をしてきた」
と主張し、党の意思決定のあり方に疑問を呈しました。
資金配分の不公平も批判
党の資金についても、
「不公平不透明な党運営だった」
と指摘しています。
れいわ新選組側の反応
これに対し、れいわ新選組側は批判を否定しています。
奥田芙美代共同代表は、
「事実無根のデマ」
と反論。
また、大石あきこ氏も、
「事実でないことを言い連ねるのはいいかげんにしてほしい」
とコメントしています。
双方の主張は食い違っており、対立が浮き彫りとなっています。
多ケ谷亮の経歴プロフィール|バンドマンから政治家へ
多ケ谷亮氏は1968年11月25日、東京都新宿区生まれの政治家です。
高校時代はバンドマンとして活動
高校時代は野球部に所属していましたが途中で退部し、バンド活動に転向しました。
音楽活動に打ち込むなど、若い頃から個性的な経歴を歩んでいます。
飲食店経営者として成功
國學院大學文学部在学中に飲食店を起業。
人気店を出店するなど、実業家として成功を収めました。
その後は飲食コンサルタントとしても活動しています。
2021年に衆議院議員に当選
2012年に政界入り後、落選を経験しながら政治活動を継続。
2021年、れいわ新選組から比例代表で復活当選し、衆議院議員となりました。
党では国会対策委員長や副代表も務めています。
2026年に離党
しかし2026年、党との対立などを背景に離党することとなりました。
まとめ
多ケ谷亮氏のれいわ新選組離党の理由は、
- 衆院選で公認されなかったこと
- 党運営への不満
- 執行部との対立
などが背景にあるとみられます。
元バンドマンで飲食店経営者という異色の経歴を持つ多ケ谷氏。
今回の離党と批判は、今後の政治活動にも影響を与える可能性があり、引き続き注目されそうです。

