韓国代表のワールドカップ敗退をきっかけに、ホン・ミョンボ監督に大きな注目が集まっています。
その中で検索されているのが、
「ホン・ミョンボ 若い頃」
というキーワードです。
現在は韓国代表監督として厳しい批判を受けているホン・ミョンボさんですが、若い頃は韓国サッカー界を代表するレジェンド選手でした。
この記事では、ホン・ミョンボさんの若い頃の活躍や現役時代の経歴、日本との関係についてわかりやすくまとめます。
ホン・ミョンボのプロフィール
ホン・ミョンボさんの基本プロフィールはこちらです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 洪明甫 |
| 読み方 | ホン・ミョンボ |
| 生年月日 | 1969年2月12日 |
| 出身地 | 韓国・ソウル特別市 |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 71kg |
| ポジション | DF、センターバック、ボランチ |
| 利き足 | 右足 |
ホン・ミョンボさんは、現役時代に「永遠のリベロ」と呼ばれた韓国サッカー界の名選手です。
守備の選手でありながら、正確なパスや戦術眼にも優れ、チーム全体を後方から動かす存在でした。
【画像】ホン・ミョンボの若い頃がすごい
ホン・ミョンボさんの若い頃は、韓国代表の中心選手として早くから活躍していました。
1990年のイタリアワールドカップでは、韓国代表のチーム最年少として出場。
その後も、
- 1990年イタリアW杯
- 1994年アメリカW杯
- 1998年フランスW杯
- 2002年日韓W杯
と、4大会連続でワールドカップに出場しています。
韓国代表としての国際Aマッチ出場数は136試合。
これは韓国サッカー史に残る大記録で、まさに若い頃から代表チームを支え続けた存在だったことがわかります。
わしはJリーグでホン・ミョンボ監督を観たい。待ってます。 pic.twitter.com/YNU8lVJq5m
— 木目川 (@kazuya_a1kawa) June 29, 2026
現役時代は韓国最高クラスのDFだった
ホン・ミョンボさんのポジションは主にDFです。
ただ、単なる守備専門の選手ではありませんでした。
試合を読む力、前線への正確なフィード、チームをまとめるリーダーシップに優れ、後方から試合を組み立てるタイプの選手でした。
当時は「アジア最高のリベロ」とも呼ばれ、日本では井原正巳さんと比較されることもありました。
韓国代表では精神的支柱としても大きな存在で、2002年の日韓ワールドカップではキャプテンとして韓国をベスト4に導いています。
2002年日韓W杯では韓国の英雄に
ホン・ミョンボさんの現役時代を語るうえで欠かせないのが、2002年の日韓ワールドカップです。
韓国代表はこの大会で快進撃を見せ、アジア勢として歴史的なベスト4進出を果たしました。
準々決勝のスペイン戦では、PK戦でホン・ミョンボさんが5人目のキッカーを務め、見事に成功。
このPKによって韓国のベスト4進出が決まりました。
大会後、ホン・ミョンボさんはアジア人として初めてブロンズボール賞を受賞。
この時点で、韓国サッカー界における伝説的な存在となりました。
日本との関係は?Jリーグでも活躍
ホン・ミョンボさんは、日本のJリーグでもプレーしていました。
所属したクラブは、
- ベルマーレ平塚
- 柏レイソル
です。
1997年にベルマーレ平塚へ加入し、その後1999年から柏レイソルでプレーしました。
柏レイソルではキャプテンも務め、Jリーグ初の韓国人キャプテンとなっています。
2000年にはJリーグベストイレブンにも選ばれており、日本でも高く評価されていたことがわかります。
柏レイソル時代は特に印象深い存在
ホン・ミョンボさんは柏レイソル時代、チームを後方から支えるリーダーとして活躍しました。
守備を安定させるだけでなく、若手選手の成長にも大きな影響を与えたとされています。
また、試合前にはチームメイトを焼肉店に集め、自腹で決起集会を開くこともあったそうです。
勝負へのこだわりや自己犠牲の精神を大切にする姿勢は、日本のサッカーファンや関係者にも強い印象を残しました。
日本人選手からの評価も高かった
ホン・ミョンボさんは、日本の選手からも高く評価されていました。
三浦知良さんは、ホン・ミョンボさんについて、ガツガツ来るタイプではなく、頭を使ったスマートなプレーをする選手だったと語っています。
また、ピッチ内外でジェントルマンだったとも評されています。
強さだけでなく、冷静さや品格を感じさせる選手だったことがわかります。
若い頃は海外クラブからも注目されていた
ホン・ミョンボさんは、若い頃から国際的にも注目されていました。
Jリーグ移籍前には、イタリア、フランス、ドイツなどヨーロッパのクラブからも関心を寄せられていたとされています。
さらに、スペインの名門FCバルセロナからオファーを受けたこともあったといわれています。
韓国国内では看板選手だったため、なかなか海外移籍が実現しなかったようですが、それだけ当時から評価の高い選手だったということでしょう。
引退後は指導者の道へ
ホン・ミョンボさんは2004年に現役を引退しました。
引退後は指導者としての道を歩み、
- 韓国U-20代表監督
- 韓国U-23代表監督
- 韓国代表監督
- 中国・杭州緑城監督
- 蔚山現代監督
などを歴任しています。
特にロンドンオリンピックでは、韓国代表を銅メダルに導く快挙を達成しました。
また、蔚山現代ではKリーグ優勝にも導き、指導者としても一定の実績を残しています。
現在は韓国代表監督として批判も
一方で、現在のホン・ミョンボさんは韓国代表監督として厳しい批判を浴びています。
2026年ワールドカップで韓国代表がグループリーグ敗退となり、韓国内ではホン・ミョンボ監督や韓国サッカー協会への不満が爆発。
飲食店やコンビニなどに「出入り禁止」の張り紙が出たり、ネット上では殺害予告まで投稿される異例の事態となっています。
ただ、現役時代のホン・ミョンボさんは韓国サッカー界を支えた英雄であり、日本でもプレーした実績を持つレジェンド選手です。
監督としての評価と、選手時代の功績は分けて見る必要がありそうです。
まとめ
ホン・ミョンボさんの若い頃は、韓国サッカー界を代表する名選手でした。
4大会連続でワールドカップに出場し、2002年日韓W杯ではキャプテンとして韓国をベスト4に導いています。
また、日本のJリーグでもベルマーレ平塚や柏レイソルで活躍し、柏ではキャプテンも務めました。
現在は韓国代表監督として厳しい批判を受けていますが、若い頃のホン・ミョンボさんは間違いなくアジアを代表するレジェンド選手の一人です。
今回の騒動をきっかけに、改めて現役時代のすごさにも注目が集まっているようです。

